三浦導寸の墓

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三浦市観光協会 📞046-888-0588
お問い合わせの際「エンジョイ三浦半島」を見たと伝えて頂くと幸いです。

京急油壺マリンパーク駐車場の脇を通り胴網海岸へ向かう下り坂の途中にあります。

新井城城主三浦同寸義同は鎌倉以来坂東武門の名族である三浦一族最後の当主となりました。三浦一族は始祖為通にはじまり鎌倉時代には北条氏とともに幕府を二分して覇権を争ったことはよく知られています。この間、和田の乱(和田義盛滅亡)宝治合戦(三浦泰村滅亡)などいく度か興亡を繰り返し450年の後、奇しくも同じ北条を唱える伊勢新九郎(北条早雲)と戦い、戦国争乱の世の露と消えました。
永正9年(1512年)北条早雲は岡崎城(平塚市伊勢原両市にまたぐ)から住吉城(逗子市)などにつづいて三浦市を新井城(油壷)に攻めました。
そして日本籠城史でもまれな凄惨な攻防は3年にわたり、永正3年7月11日義同以下城兵ことごとく決戦にのぞみ、ここに、さしもの三浦氏はその歴史を閉じました。
義同辞世の歌
討つもの討たるるものもかわらけよ
砕けて後はもとの土くれ

三浦導寸義同は、室町時代の武将で、北条草雲と対立し、起伏の多い入り江のある自然の要塞である油壷、新井城で北条草雲の大軍相手に3年間奮戦し永正13年(1516年)自害しました。三浦氏最後の当主の墓です。
油壺の名の由来は多くの将兵が自害、または身を投じ、その為一面が血汐で染まり、まるで油を流したようない状態になったので「油壺」と言われるようになったとされる。他にも諸説があるようです。

京急油壷マリンパークの脇を通っていきます

基本情報
住所 神奈川県三浦市三崎町小網代
TEL 三浦市観光協会 0468-88-0588
営業時間 自由
定休日 なし
駐車場 あり(有料)
アクセス 京急三崎口駅より京急バス「油壺マリンパーク」下車徒歩約5分
横須賀道路「衣笠IC」より三浦縦貫道「林出口」経由約50分

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