県立観音崎公園の海蝕洞窟

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観音崎公園パークセンター📞046-843-8316
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県立観音崎公園の海蝕洞窟
灯台方面からの海蝕洞窟
観音像
海蝕洞窟から入口方面を望む
観音崎プロジェクトの会 案内板
神奈川県の案内板
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県立観音崎公園の海蝕洞窟
灯台方面からの海蝕洞窟
観音像
海蝕洞窟から入口方面を望む
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観音崎の名前の由来は行基上人の観音像から

観音崎バス停より海沿いを歩いて徒歩約5分ほど、右側に大きく穴の開いた海蝕洞窟があります。
「古事記」と「日本書紀」にある日本武尊(倭建命)の東征伝説など神話の時代より登場する観音崎では昔、行基上人が彫った観音像が地元ならず浦賀水道を行き交う船舶の安全を守っていました。
令和の時代に観音崎観音像復元プロジェクトの皆様のおかげで、観音像が復元されました。
日本で最初の様式灯台や陸軍砲台跡など歴史的価値のあるものから横須賀美術館、自然博物館、海水浴、バーベキュー、ハイキングなど一日では足りないので何度も足を運んでみたくなる場所です。

行基上人による観音像の建立と観音崎のいわれ

観音像及び観音崎については、次のように言われています。
天平13年(741年)の春、行基上人がこの地を訪れました。当時、この海蝕洞窟には白い大蛇が住んでおり、山一帯に住む鵜とともに、沖へ行く船に危害を加えておりました。行基上人は、泣き悲しむ村人のために、大蛇と鵜を退治するとともに、観音像を彫り、これを洞窟のそばに納めたところ、海は平穏になり、以後、漁師たちは安全に漁ができるようになりました。村人達はこれを観音様のご利益と考え、お堂を建設し観音像を祀るようになりました。
観音像は地元の村人や漁師だけでなく、浦賀水道を行き交う全ての船舶乗組員にも愛され、いつしか人々は、この地を観音像に守られた岬「観音崎」と呼ぶようになり、その名前は現在まで続いております。

行基上人の功績

行基上人の功績については、次のように言われています。
観音像を彫り、観音崎の由来を作った行基上人は、その一方、律令制の下、重い租税や飢饉で苦しむ多くの民衆のために、布施屋を呼ばれる福祉施設を建て、食事や宿泊を提供し、民衆の救済を図る傍ら、豪族からの資金提供のもと、農業用の池や溝を掘り、道を拓き、橋を架けるなど、民衆を率いて土木工事を進めました。
朝廷は、民衆の支持を得た行基上人の活動を認め、これまで公有であった土地制度を改め、土地を開墾した場合、一定の期間の私有を認めたので、以後、自発的な開墾が促進されるなど、土地制度改革が大きく進みました。
また、行基上人は、聖武天皇から奈良の大仏建立という一大公共事業の責任者に任じられるなど、行基上人の社会活動は、我が国のインフラ整備の面で大きな功績を残しました。
(令和元年9月23日 神奈川県 横須賀土木部事務所)案内板から抜粋

観音崎にまつわる神話

「古事記」と「日本書紀」にある日本武尊(倭建命)の東征伝説において、相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)に渡ったとされる場所がこの前に広がる海です。
尊が上総の出航して間もなく暴風雨が船団を襲いました。これを海神の怒りと悟った尊の妃・弟橘姫は「私が海に入り海神の怒りを沈めましょう」と言い残し入水したところ、それまでの暴風雨が嘘のように鎮まり、尊一行は上総国に無事にわたる事が叶い、尊は東征の使命を果たすことができました。

二度消えた観音像

神話の時代から幾百年、天平13年(741年)に行基上人によって彫られ、人々に愛されていた観音崎の観音像は、鎌倉時代、和田義盛氏と北条氏の合戦「和田義盛の乱(健保元年・1213年)の渦中、忽然と姿を消し、村人の必死の探索にも関わらず発見できず、百年の時が流れました。
鎌倉時代末期、ある漁師が夜の観音崎の沖から光が漏れているこのに気がつき、翌朝、海底を探したところ、百年前に紛失した観音像が発見されました。
江戸時代になると、観音像を納めたお堂の前に、船の安全を守る灯篭が築かれ、また、観音寺が建立されると、幕府から朱印地を与えられるなど、観音崎は大変賑わいました。
明治13年、明治政府は、帝都防衛の要として観音崎に陸軍砲台建造を決定、観音寺と観音像は鴨居の亀崎に移転されましたが、人々はかわらず観音像を大切にし、明治、大正、昭和の時代を観音像と共に過ごしてきました。
ところが、昭和61年11月、観音像を納めた鴨居の観音寺が火事となり、観音像もまた完全に焼失して、観音崎は「無」観音崎となってしまいました。

観音像復元プロジェクト

平成30年、観音像を復元すべしと有志が立ち上がり、多くの海を愛する人達の協力、神奈川県の観音崎文化に対する深い理解を得て、市民活動として、観音崎観音像復元プロジェクトが発足しました。
令和元年、ここの観音像の歴史的復元をなし得たことは、千二百年以上にわたり観音崎に想いを寄せてこられた全ての人々に熱意の結実である事をここに記します。
(令和元年9月23日 観音崎プロジェクトの会 案内板より抜粋)

基本情報

住所 神奈川県横須賀市鴨居3・4丁目・走水2丁目
TEL 観音崎公園パークセンター 046-843-8316
営業時間 観音崎パークセンター8:30~17:30
休園日 なし
料金 公園入園無料【灯台参観寄付金】大人150円・子供(小学生)20円
公園面積 70.4ha
主な施設 トイレ
駐車場 あり
アクセス 京急馬堀海岸駅より京急バス「観音崎」下車徒歩約5分
その他の情報 県立観音崎公園公HP 観音崎自然博物館公式HP 観音崎灯台公式HP 

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