若山牧水夫婦歌碑

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横須賀集客促進実行委員会 📞046-822-8124
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此処の長浜浪立ちやまず 

若山牧水は本名繁。「牧水」という雅号は、母の名マキ(牧)と彼が愛した坪谷川の水を合わせたといわれます。
明治18年8月24日、宮崎県東臼杵郡東郷町に生まれた。
県立延岡中学校を卒業した後上京、早稲田大学に学び、明治45年太田喜志子と結婚した。大正2年長男旅人を出生したあと喜志子は体調が優れず、医師から転地療養を勧められ、大正4年3月に長沢の川端の家(斉藤松蔵方)に移り住んだ。
気候温暖な当地で静かな明け暮れのなかで、喜志子の健康は次第に回復し、大正5年11月に長女みさきが生まれた。そして彼自身も月に1~2回の浦賀への往復や近くの子供を伴っての川釣り、時には松輪方面への遠出などの生活を楽しみました。その反面経済的には恵まれず、その上家族に対する愛情と、仕事への高い意欲とのはざまにあって、言いしれぬ苦悩の情も秘めていたようです。

右に立つ「しら鳥」歌は明治40年12月の「新声」に発表されたのもであるが、牧水はまだ20才の学生歌人であった。
碑の背面に刻まれた「鋸山の歌」は、妻喜志子が当地に住んでいる頃「海辺に移りて」と題して発表したもので、表裏合わせて「夫婦歌碑」と呼ばれいる所以である。昭和28年に建立された。
左にある「海を越えて」の歌碑は昭和60年に建立された。歌集「砂丘」をはじめ「三浦半島」と題し「病妻を伴い、三浦半島に移住す、3月中旬の事なりき」ち記したあとに発表した長沢海岸から房州鋸山を詠んだ歌である。
戦後、千駄ヶ崎周辺の開発は少なからず潮流の変化をきたし、たびかさなる大型台風や海岸道路新設は、白砂青松の風情にも変化をもたらしました。それにもかかわらずこの歌は、松輪へとつづく当時の美しく壮大な白浪海岸をほうふつとしてよみがえらせ、往時をしのぶに十分な秀歌です。

「漂泊の歌人」と言われ、旅人酒を愛した牧水は、地域の人々との温かいふれあいもあって、喜志子の日常も順調にすすむようになり、大正5年12月日東京小石川に引き揚げ28ていった。
昭和3年9月に逝去(享年43歳)。

基本情報
住所 神奈川県横須賀市長沢2
TEL 横須賀集客促進実行委員会 046-822-8124
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 京急長沢駅より徒歩約15分

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