玉泉寺

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玉泉寺本堂 国指定史跡文化財(昭和26年指定)
この本堂は、天保6年(1835年)当山十九世大陵道眉大和尚の発願により、嘉永元年(1848年)3月4日、遺弟二十世翠岩眉毛大和尚の代に現在の地に、間口七間半、奥行き七間、総欅造りの堂宇として上棟落慶されました。
その6年後、嘉永7年(1854年)黒船の下田来航により日本開国史上の表舞台として登場しました。
〇嘉永7年3月 日米和親条約により下田が開港され、同年5月和親条約付録下田条約が結ばれると、黒船乗組員の休息所、埋葬所に指定される。(日本最初の外人墓地)
〇安政元年12月より、北の黒船ディアナ号乗組員の宿舎、埋葬所、日露交渉の場として使用。
〇安政2年5月 ドイツ商人リュードリフの約半年の滞在。
〇安政3年8月~6年5月まで、タウンセンド・ハリス、秘書通訳ヒュースケンにより、日本最初の総領事館として使用(2年10カ月)。
タウンセンド・ハリスは下田奉行との間に日米金銀貨は同種同量で交換すること、米側に領事裁判権を認めることなどを内容とした下田協約を結んだ。さらに、江戸への出府して通商開始の努力を続け、同5年6月ポーハタン号艦上で日米修好通商条約の調印に成功した。同内容の条約が蘭、露、英、仏との間にも結ばれた。
通商条約により横浜開港が決まり、安政6年(1859年)5月領事館は閉鎖され、ハリスはその使命を終えて下田を去り、江戸麻善福寺へと移った。
なお境内には米人の墓5基、露人の墓4基が建てられている。

足掛け6年間、この本堂に於いて様々なドラマが展開され、日本開国の中心舞台として、その役割を果たしました。

大正15年、渋沢栄一子爵と日米協会の援助の下、本堂の大改修が行われ、その姿は、当時の儘に現在に保存されています。日本開国の最も重要な遺構です。

牛乳の碑

米国大統領来訪記念碑
アメリカ合衆国ジミーカーター大統領(39代)昭和54年(1979年)6月27日玉泉寺来訪
随行者
ロザリン・カーター夫人、エミー・カーター嬢

米国総領事館旗掲揚の地
英文碑面訳
1856年9月4日(安政3年8月6日)初めて日本帝国の一角に領事旗を掲げ翌年11月23日までこの地に居住し1858年7月29日江戸条約のより日本の門戸を世界に開きたる、米国総領事タウンセンド・ハリス記念の為此の碑を建つ。
※最後に下田を去りたるは1859年6月30日なり
1927年9月4日
建立者 子錫 渋沢栄一
故駐日米国大使 エドガー・エー・バンクロフト
シカゴ 市民 ヘンリー・エム・ウルフ
1856年9月4日 木曜日 ハリス日記より
興奮と蚊のため、ひじょうに僅かしか眠れなかった。蚊は大変大きい。午前7時に水兵たちが旗をたてて上陸した。荒い仕事。はかどらぬ作業。円材が倒れる。幸に誰も怪我はない。とうとう艦が加勢をうける。旗がたった。水兵たちがそれを廻って輪形をつくる。そして、この日の午後2時半に、この帝国におけるこれまでの「最初の領事旗」を私は掲揚する。厳粛な反省一変化の前兆一疑いもなく新しい時代がはじまる。敢えてとう…日本の真の幸福になるだろうか?

ハリス記念館
開館時間 8;00~17:00
入館料 大人300円小人150円
定休日 年中無休

基本情報
住所 静岡県下田市柿崎31-6
TEL 0558-22-1287
営業時間 8:00~17:00
拝観料  無料
定休日 年中無休
駐車場 あり
アクセス 下田駅からバスで約5分

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