瀬戸神社

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古墳時代この地は潮の急流が渦を巻き、容易に渡れない難所だった、それを鎮めるために民が海神を祀ったのが起源といわれます。神社の西隣で古墳時代の貝塚が発見され祭祀遺物が検出されたのでそれらが裏付けることができる。また、治承4年(1180)に源頼朝が鬼門の守りとして伊豆三島明神をこの地に勧請してから、鎌倉幕府をはじめ大名にも崇敬も厚く、中世都市鎌倉の外港として栄えていた武蔵国六浦庄(金沢区全域)における中心的な神社であった。
江戸時代には百石の社領を有する大社として町民にも信仰が広がった。
鎌倉幕府以来、執権北条氏、鎌倉公方足利氏・小田原北条氏などといった歴代の権力者によって保護され今に至っている。
祭神は、港や海上交通の守り神、大山祇命(おおやまつみのみこと)。伊豆の三島大社と同じ祭神である。
現在の社殿は、寛政12年(1800)に建造され、屋根は、昭和4年(1929)に銅板に茸き替えられています。

境内正面より平潟湾へのびる突提の先端部にまつられている弁天社(琵琶島神社)は頼朝の婦人北条政子が琵琶湖の竹生島から勧誘したと伝えられています。
立ち姿で「立身弁財天」と呼ばれ、頼朝、政子の立身出世と重ねて、身を立てる神徳があるとされてきました。音楽芸能と商売蓄財の神としても信仰されている。
祀られているのは瀬戸神社の正面、琵琶島の琵琶島神社で、ここは瀬戸神社の摂社(神社境内の小さな神社)にあたる。

放下僧の遺跡
謡曲「放下僧」は室町時代相模国 の刀根信俊に、父の下野牧野左衛 門を討たれた遺児の兄弟が、その ころ流行していた僧形の旅芸人 (これを放下僧といった)に扮し、 ここ武蔵野国瀬戸の三島神社で、見事父の仇をうったという世話巷談をもとに、脚色されているが、ことのきの仇討ちの場所が、境内にある手水舎の東側だったと伝えられている。瀬戸神社は鎌倉と房総を結ぶ重要な交通の要所であったので諸国去来の人々で賑わい、牧野兄弟が敵討ちの相手と巡り会ったのもうなずける。樹齢1000年と言われる境内の名木「榧の木」は当時すでにあったものである。

蛇混柏(じゃびゃくしん)
文明18年(1486)萬里和尚の詩の自註に「六浦廊前古柏屈繁」とあり、延宝8年(1680)8月6日の大風に転倒して跡も朽損せず、新編鎌倉志・江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。一部は本殿内陣の御扉材に使用されている。

基本情報
住所 神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14
TEL 045-701-9992
営業時間 制限なし
拝観料 無料
主な施設
駐車場 なし
アクセス 京急・シーサイドライン「金沢八景」から徒歩3分

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