西叶神社 にしかのうじんじゃ

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叶神社📞046-841-0179
お問い合わせの際「エンジョイ三浦半島」を見たと伝えて頂くと幸いです。

「アリャアリャ、ありがたや、叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」
これは享保5年(1720)から当地に伝えられているといわれ、毎年9月の祭礼に奉納される県指定無形民俗文化財「虎踊り」に登場する、和籐内のセリフの一説です。
叶明神は平家の横暴ぶりを憤った文覚上人が、上総国(現在の千葉県)鹿野山にこもり、はるかに山城国(現在の京都府)石清水八幡宮に源氏の再建を願って叶えられたことから、義和元年(1181)にそのみ霊をこの地に迎えて祭ったことに始まると伝えられています。従って、この神社の祭神は、石清水八幡宮と同じ応神天皇(第15代天皇)です。
現在の社殿は、天保8年(1837)に焼失した社殿を天保13年に再建した物です。再建に要した費用は約3000両と記録されています。特に注目に値するのは、内部を飾る精巧な彫刻です(虹梁(こうりょう)、欄間などの大きなものから、拝殿天井、木鼻(きばな)など総数230を超えます) 。
作者は、のちに名工とうたわれた安房国千倉の彫刻師後藤利兵橘義光(文化12年(1815)安房国千倉の生まれで、江戸の後藤三次郎の門に学び、神社社殿の彫刻や山車、みこしを多く手掛けました。 )です。当時20代の若さであったといわれています。彫刻に要した費用は総建築費の約7分の1にものぼる411両でした。
奉行所が置かれ、回船問屋が軒を連ねていた隆盛期の浦賀であったからこそできたことと思われます。
社殿の裏山には、文覚畑と呼ばれている所があり、文覚上人の庵室の跡と伝えられています。また社殿の右手下に、「明治天皇抽れん跡」があります。これは明治14年5月18日に明治天皇が観音崎砲台建設の様子を御覧になられた際、当時この場所にあった浦賀西岸学校の2階の一室に御休憩されたのを記念して建てられました。

ええじゃないか「ええじゃないか」三浦半島民俗運動のはじまり
慶応三年(1867)秋、西叶神社前の砂糖問屋湖幡屋の樽の中から大神宮のお札が出てきたことから大騒ぎとなりました。この騒が[ええじゃないか]といわれる民衆運動の三浦半島で始まりとなりました。浦賀の家に次々とお札が降り、人々は吉兆として誰にでも酒食を振る舞い多くの人が浦賀になだれ込み、奉行所も収拾がつかないほど町は混乱状態になりました。[ええじゃないか]は東海地方で起こり伊勢神宮などのお札が降って人々が狂喜乱舞しました。東海道を江戸まで東上していく途中、浦賀に伝わったと思われます。 「掲示板より抜粋」

現在の社殿が天保13年(1842年)に再建された時に施された彫刻で、虹梁、欄間、拝殿天井など総数230を超す。作者は安房国の彫工、後藤利兵衛である。

昭洞香山君碑

基本情報
住所 神奈川県横須賀市西浦賀町1-30 
TEL 046-841-0179 
営業時間  
料金 無料 
主な施設  
駐車場 あり
アクセス JR・京急久里浜駅より京急バス「紺屋町」下車徒歩約1分
横浜横須賀道路「浦賀IC」より久里浜方面へ約15分

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