大善寺 だいぜんじ

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金峯山 不動院 大善寺といいます。
三浦不動尊観音第2番札所
三浦地蔵尊第2番札所
詠歌 この世をば久しきものと思いつけ 来世のことを苦にも思わぬ
横須賀市指定文化財 昭和60年(1985)4月25日指定
木造阿弥陀三尊像
 阿弥陀如来坐像像 一躯
 観音菩薩立像   一躯
 勢至菩薩立像   一躯
この阿弥陀三尊像は中央の阿弥陀如来(中尊)が左右の菩薩像(脇侍)を従えた形態です。中尊の阿弥陀如来像は寄木造り、玉眼入りで、上品下生の来迎院を結ぶ坐像です。肉身部は漆箔(漆に金箔をはる技法)、着衣部は黒漆塗りで、体部に差し込まれた頭部など江戸時代に後補部分もありますが、体部、腰部の用材は古く、12世紀頃のものです。
脇侍の観音菩薩像は、一木造り、彫眼で、蓮台(亡夫)を棒持する立像です。肉身部は漆箔、着衣部は黒漆塗りで、造立は中尊像同様12世紀頃と考えられます。
また、観音菩薩像と対をなす勢至菩薩像は尊容、着色は似せてはいますが、観音菩薩像に比べ、彫技が硬く、江戸時代に新しく造られたものです。
このことから、阿弥陀如来三像は一部分、補造されたりしていますが、中尊像の体幹部、および観音菩薩像は藤原時代の作風をのこしており、市内に残る数少ない平安仏として貴重なものです。また勢至菩薩像は観音菩薩像の作風を写すことに努めており、近世における摸古作のありかたを知るうえで大切な作例です。

衣笠城址(横須賀市指定史跡)
山麓の右を流れる大谷戸川と左手の深山川に挟まれ東に突き出た半島状の丘陵一帯が衣笠城跡である。源頼義に従って前九年の役に出陣した村岡平太夫為通が戦功によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の中心地である要害堅固のこの地に、両川を自然の堀として、康平年間(1058~1064)に築城されたといわれ、以後為継・義継・義明の四代にわたり三浦半島経営の中心地であった。
 治承四年(1180)8月源頼朝の旗揚げに呼応して、この城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、いわゆる衣笠合戦として名高い。丘陵状の一番裾が衣笠城の大手口で、ゆるやかな坂を登って滝不動に達する。居館は水の便の良いこの附近の平場にあったかと推定され、一段上に不動堂と別当大善寺がある。
 さらに、その裏山がこの城の最後の拠点となる詰の城であったと伝えられる平場で、金峯山蔵王権現を祀った社が存在した。また、その西方の最も高い場所が、一般に物見岩と呼ばれる大岩があり、その西が急峻な谷になっている。要害の地形を利用して一部に土塁や空堀の跡が残っている。
 このように、この地一帯は平安後期から鎌倉前期の山城で、鎌倉時代の幕開けを物語る貴重な史跡である。
平安鎌倉時代の山城ですので、天守閣や石垣などは無く、当時の面影は残っていません。

駐車場から階段を登って本堂へ

本堂横に衣笠城址へと向かう山路がある

駐車場

基本情報
住所 神奈川県横須賀市衣笠町29
TEL 046-851-1196
営業時間
料金 無料
主な施設
駐車場 あり
アクセス JR横須賀・京急横須賀中央駅より京急バス「衣笠城址」下車徒歩約10分
横浜横須賀道路「衣笠IC」から約2分

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