信楽寺 しんぎょうじ

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開山は永正元年(1504)といわれています、本尊は運慶作と伝わる阿弥陀如来で地蔵菩薩を祀り三浦地蔵尊27番札所になっています。
聖観音は行基の作で新編相模風土記によれば熊谷蓮生坊こと源氏の武将・熊谷直美の守護仏であり、直美が熊谷寺から近江国大津の信楽寺に移すものを使者が間違えてこの信楽寺に納めたといわれています。
墓地には幕末の志士、坂本龍馬の妻龍子(おりょう)の墓があり、龍子は龍馬の死後再婚し西村ツルの名で横須賀米が浜に住んでいました。
毎年10月中旬には「おりょう墓前祭」が開催されます。

坂本龍馬の妻 龍子(おりょう)の墓
江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻龍子は、「寺田屋騒動」の折、龍馬の危急を救った女性として広く知られています。龍子は、京都の町医者楢崎将作の長女として生まれました。生年月日については、天保12年の説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永3年(1850)6月6日となっています。
名は「りょう」または「とも」と呼ばれ伏見の寺田屋にいた頃は「小春」と呼ばれていたようですが確かなことは不明です。
坂本龍馬は慶応3年(1867)12月15日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、33歳のの若さで斬殺されました。
未亡人となった、龍子は、夫龍馬の実家土佐の坂本家に移り住みましたが、長続きはしませんでした。その後、京都、大阪、東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。その原因や生活状況については、いろいろな説があり、現在のところでは定説がありません。
ただ、はっきりしているところは、明治8年7月2日、三浦郡豊島村深田222番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治39年1月15日午後11時に死亡した事実だけです。いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で、明治39年10月20日にささやかに営まれました。また、遺骨は、当時の信楽寺住職新原了雄師の御厚意により、この地に葬られたとのことです。
「横須賀風物100選 案内板より抜粋」

保久利地蔵
九十九才の白寿長寿で亡くなったおばあさんがおりました。
最後まで病むことなく、お天気が良ければ田畑に出て、雨の日は縫い物に励むなどとても丈夫な方でした。
信心ぶかいお人柄で、いつも、ほとけを念じ粗衣粗食に甘んじて、まわりの人達につくした姿が、まるで、生ける地蔵菩薩のようでありましたので、一周忌にあたり建立されました。
地蔵菩薩とは、様々な悩みや苦しみにもだえる私達をすくって下さる菩薩様です。保久利とは、この様な利益を永久に保ってくださるという意味です。

見かえり観音

基本情報
住所 神奈川県横須賀市大津町3-28-1
TEL 046-836-3731
営業時間
料金 無料
主な施設
駐車場 なし  
アクセス 京急大津駅より徒歩約5分
横浜横須賀道路「横須賀IC」より本町山中道路経由国道16号線方面

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