与謝野夫婦の文学碑

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浦賀行政センター 📞046-841-4155
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碑の歌は、昭和10年3月3日与謝野寛(号・鉄幹)、晶子夫婦が同人たちとともに、観音崎、浦賀、久里浜を吟行した折り詠んだものです。思いのほかの寒さであったためか、寛は同月26日肺炎で没しているので、これは生涯最後の歌の一つです。
寛は、明治6年2月26日京都市左京区の願成寺に与謝野礼厳の四男として、晶子(本名・志よう)は同11年12月7日に大阪府堺市に菓子商鳳宗七の三女として生まれた。
明治12年に上京して落合直文の門下に入った寛は、32年の秋に「東京新詩社」を設立。翌年4月には機関誌「明星」を創刊し、ひろく青年層にロマンチシズムを鼓吹して、短歌の革新に貢献した。一方、寛の歌に深く心をうたれた晶子は、新詩社社友となって「明星」2号に短歌を発表、以後毎号同誌に投稿する。
晶子が、明治33年8月に講演のため来阪した寛をその宿に訪ねたのが、二人の最初の出会いであり、やがて恋愛に進展していった。明治34年6月晶子が上京、同年秋に結婚した。
同年8月に出版された晶子の第一歌集「みだれ髪」は、世の注目を浴び、新詩社黄金時代の幕開けとなった。二人は、明治30年代の詩歌壇を主導して、浪漫主義文芸の花を咲かせ、石川啄木、北原白秋、高村光太郎、佐藤春夫、堀口大学らの俊英を輩出した。
代表作として、寛に「東西南北」「天地玄黄」「紫」、晶子に「みだれ髪」「小扇」「舞姫」白桜集」がある。

基本情報
住所 神奈川県横須賀市西浦賀町1-23
TEL 浦賀行政センター 046-841-4155
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 京急久里浜駅・浦賀駅より京急バス「紺屋町」下車徒歩約7分

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