浦賀奉行所跡

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浦賀行政センター📞046-841-4155
お問い合わせの際「エンジョイ三浦半島」を見たと伝えて頂くと幸いです。

享保5年(1720)12月、伊豆下田にあった奉行所を移転し、浦賀奉行所が開設されました。
浦賀への移転理由は「下田は港の出入り口に岩礁があって、船の入出港の妨げになっている」という船乗りたちからの声を聞き、より安全な湊を調査した結果、浦賀ということになった。と記されています。
しかし、この理由は下田に奉行所が置かれてから100年以上経過しているため、これが移転の本当の理由とは思えません。江戸幕府が開かれて100年が過ぎ、平和な時代が続いたため、農業を中心とした生産力があがり、全国各地から江戸へさまざまな物資が入ってくるようになりました。その98%以上が船で運搬されており、江戸の物価の安定を図るために、江戸での在庫量を把握する必要に迫られていたため、検査をほぼ完ぺきにできる場所を探した結果、すでに湊ととして整備されていた浦賀が選ばれたのです。
浦賀奉行所では、船の積み荷と乗組員の検査をする「船改め」を行う「船番所」が開設され、江戸を往来するすべての船は浦賀で検査を受けることが義務付けられました。この「船改め」は「廻船問屋」と呼ばれた105軒の問屋に委託され、「入り鉄砲に出女」の検査はもちろん、生活必需品11品目については、3ヶ月ごとに集計された数字が江戸町奉行へ報告されました。
その他の業務としては、現在の税務署・裁判所・警察署・海上保安庁などの仕事を行っていました。
浦賀奉行所が開設されて100年を過ぎたころから、江戸近海に異国船が来航するようになると、江戸を異国船から守る最前線の基地の役目も持つようになりました。
嘉永6年(1853)6月、浦賀に来航したペリー艦隊は、日本が近代に進む第一歩として良く知られていますが、浦賀奉行所にとっては、文政元年(1818)5月に来航したイギリス船から数えて7度目の異国船でした。このペリー来航時には、中島三郎助や香山栄左衛門をはじめとした浦賀奉行所の役人たちが大きく活躍し、交渉の結果、アメリカ大統領の親書を久里浜で受け取ることとなりました。
ペリー浦賀来航後の安政6年(1868)4月、新政府に接収されるまで続き、さらに「船改め」業務だけは、明治5年(1872)3月まで続けられました。
浦賀奉行所の業務は、長官である奉行(1、2人)与力(部課長クラス)が10~18騎(馬に乗ることが許されていた)・同心(係長クラス)50~100人で行っていました。与力・同心はほとんど転勤がなく奉行所の表門前から海岸に向けた場所に役宅が立ち並び、ここに暮らしていました。
市民文化遺産 令和3年(2021)1月25日指定

近年発掘作業が行われ、浦賀奉行所模型は浦賀コミュニティセンターで見ることができます。

当時からある石橋

当時からある石垣

基本情報
住所 神奈川県横須賀市西浦賀5丁目
TEL 浦賀行政センター 046-841-4155
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 京急久里浜・浦賀駅より京急バス「西浦賀4丁目」下車徒歩約3分
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/g_info/uragabugyosyo.html←詳しくは横須賀市HPへ

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