おりょうの墓(坂本龍馬の妻)

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大津行政センター📞046-836-3531
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江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻龍子は、「寺田屋騒動」の折、龍馬の危急を救った女性として広く知られています。龍子は、京都の町医者楢崎将作の長女として生まれました。生年月日については、天保12年の説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永3年(1850)6月6日となっています。
名は「りょう」または「とも」と呼ばれ伏見の寺田屋にいた頃は「小春」と呼ばれていたようですが確かなことは不明です。
坂本龍馬は慶応3年(1867)12月15日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、33歳の若さで斬殺されました。
未亡人となった、龍子は、夫龍馬の実家土佐の坂本家に移り住みましたが、長続きはしませんでした。その後、京都、大阪、東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。その原因や生活状況については、いろいろな説があり、現在のところでは定説がありません。
ただ、はっきりしているところは、明治8年7月2日、三浦郡豊島村深田222番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治39年1月15日午後11時に死亡した事実だけです。いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で、明治39年10月20日にささやかに営まれました。また、遺骨は、当時の信楽寺住職新原了雄師の御厚意により、この地に葬られたとのことです。

基本情報
住所 神奈川県横須賀市大津町3-29-1
TEL 大津行政センター046-835-3631
料金 無料
駐車場 なし 
アクセス 京急大津駅より徒歩約5分

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