白秋文学コース15 通り矢

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三浦市観光協会 📞046-888-0588
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通り矢と城ケ島に降る雨の
間に入海舟わかれゆく
しみじみと海に雨ふり診よ澪の雨
利休めずみとなりけるかも

白秋が住んだ大正の初め、新しいイカ漁法が開発されるなど沿岸漁業は黄金期を迎えようとしていました。一日のイカ漁を終え、白帆をあげた漁船の群れが通り矢の鼻を次々とかけぬけていく様子は、当時三崎漁港ならではの風物詩でありました。
 通り矢は白秋が最初に居を構えた向ヶ崎異人館の正面にあり、朝夕の散歩道でもあり、見事なスケッチも描いています。

「通り矢」の地名
永正13年(1516)7月11日、新井城(油壷周辺)が落城して、三浦氏が滅亡したあとの三崎は、北条早雲が支配するようになりましたが、その後、安房(千葉県南部)の里見義弘が、この良港三崎をねらい、弘治2年(1556)3月、里見軍は兵船80余隻をもって三崎に来襲しました。
 以来、幾度か争いが繰り返されましたが、その際、里見の兵の矢が海峡を射通したので「通り矢」の地名がついたといわれています。
 また一説には、源頼朝が三崎に遊覧したとき、この通り矢から対岸の城ヶ島の遊ヶ崎へと見通す岩礁、矢立ヶ根に的を立てて小笠懸をして遊んだ。この時、矢が間を通ったので地名になったとも伝えられています。
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基本情報
住所 神奈川県三浦市晴海町
TEL 三浦市観光協会 046-888-0588
営業時間 自由
定休日 なし
駐車場 なし  
 アクセス 京急三崎口駅より京急バス「通り矢」終点下車徒歩約3分

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