北条顕時・金沢貞顕の墓

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称名寺📞 045-701-9573
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北条顕時(1242~1301)は北条実時の子で、鎌倉幕府の重職であった、引付衆、評定衆などを歴任しました。
1285年の霜月騒動によりまして一時政権を退きましたが、その間、膳に傾倒し五山版のさきがけとなる「伝心法要」の開版をおこないました。
金沢貞顕(1278~1333)は顕時(あきとき)の子で、六波羅探題をつとめたのち第15代執権となりました。
和漢の書物を多数収集し、金沢文庫を国内屈指の武家の文庫に創りあげるととに、称名寺の伽藍(がらん)や庭園の整備につくし、その最盛期を築きました。
1333年新田貞義の鎌倉攻めにあい、北条高時および北条一族ととに鎌倉の東勝寺で滅びました。
墓地は、従来、向かって右の五輪塔が貞顕、左の五輪塔が顕時の墓とされてきましたが、1935年右の五輪塔から青磁壺(重要文化財)が発見され、さらにその五輪塔の様式から、右が顕時、左が貞顕で南北朝期の供養塔と確認されました。

称名寺

基本情報
住所 神奈川県横浜市金沢区金沢町(称名寺境内)
TEL 称名寺 045-701-9573
営業時間 9:00~16:30
料金
駐車場 なし
アクセス 京急金沢文庫駅より徒歩約15分

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