咸臨丸フェスティバル

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咸臨丸フェスティバル実行委員会📞046-841-4155
お問い合わせの際「エンジョイ三浦半島」を見たと伝えて頂くと幸いです。

5月の中旬に住友重機械工業(株)浦賀工場で開催される咸臨丸フェスティバル。
会場の浦賀ドック跡地では、記念式典や屋台、フリーマーケット、アトラクション、普段入ることができない場所へのガイド付きツアーなど盛りだくさんです。。
幕末の安政7年(1860)1月勝海舟を船長とする咸臨丸は浦賀から出航し、日本人初の太平洋横断を記念するイベントです。。
近くの愛宕山公園には記念碑があり、東叶神社では、出航の前に勝海舟が断食をおこなった場所などあります。。
詳しくは、下記の関連ホームページへ。。
咸臨丸フェスティバル(ココヨコ)。
横須賀風物百選 「浦賀造船所」 。
浦賀湾を囲むこの施設は、住友重機械工場株式会社追浜造船所浦賀工場です。 。
 創業以来、浦賀船渠株式会社、浦賀重工業株式会社、更には現在の社名と変わりましたが、広く「浦賀ドック」の愛称で呼ばれてきました。 。
 この造船所は、明治二十九年、当時農商務大臣であった榎本武揚などの提唱により、陸軍要さい砲兵幹部練習所の敷地及び民有地を取得して設立準備を進め、翌三十年六月二十一日の会社設立登記をもって発足したものです。資本金は百万円でした。。
 そのころの日本は、日清戦争などの影響もあって、外国から多くの艦船を買い入れ、世界的な海運国に発展しようとしていました。一方造船界は、技術面や設備面で大きく立ち遅れていました。その遅れを取り戻すため、外国人技師を雇い入れて国内各地に次々と造船所を造っていきました。この造船所もそのなかの一つで、ドイツ人技師ボーケルを月給約百五十円で雇いドックを築きました。 。
 明治三十五年十月十五日、フィリピンの沿岸警備用砲艦ロンブロン号(350排水トン)を進水させました。創業以来手がけてきた船は、いずれも国内の企業から受注した工事用運搬船のたぐいばかりでしたが、十四隻目に初めて外国から受注した本格派の艦船を世に送り出しました。 。
 しかし、造船所の歩んだ道は、決して楽ではなかったようです。明治四十一年発行の「三浦繁昌記」の浦賀町の項には、「・・・現今は、浦賀船渠会社を唯一の顧客として商業を営み、此の会社の弛張(しちょう)興廃は町の景気に大なる影響を及ぼしている・・・」とあり、造船所の浮き沈みが、そのまま町民の一喜一憂につながっていた様子をよく言い表しています。 。
 以後今日まで、様々な歴史の移り変わりにつれて盛衰を繰り返してきました。この間、ここで建造した艦船は約一千隻に達します。

浦賀ドックの歴史を紹介

色々なパフォーマンスが開催されます

幻の葉山牛をはじめグルメを楽しもう

フリーマーケット開催

緊急車両の展示

地場野菜の販売

歴史ある浦賀ドックも目の前に!

基本情報
住所 神奈川県横須賀市浦賀周辺
住友重機械工業(株)浦賀工場内
TEL 咸臨丸フェスティバル実行委員会 046-841-4155
期間 5月中旬開催
時間 10:00~16:00
入場 無料
主な施設 駐車場 なし
  アクセス 京急浦賀駅より徒歩約5分

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