徳田屋敷跡

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浦賀行政センター📞046-841-4155
お問い合わせの際「エンジョイ三浦半島」を見たと伝えて頂くと幸いです。

徳田屋は江戸時代から明治・大正時代まで続いた浦賀を代表する旅館です。
創業は明かではありませんが寛政の改革を行った松平定信が、相模・伊豆の沿岸を視察折りに止宿したという記録からすると1700年の終わり頃には存在したことがわかっています。
しかし正式に旅宿(御用御宿)となったのは1811年(文化8年)3月のことであり、これが浦賀の旅館のはじまりです。
ペリーが来航した1853年(嘉永6年)6月には黒船を見聞するために吉田松陰が二度目の宿泊をして、ここで佐久間象山と会っていました。松陰も象山もこれより二年前の1851年(嘉永4年)に松陰は熊本藩士・宮部とともに江戸湾沿岸の防備状況視察のために象山は門弟小山寅三郎をともなって思索の旅で徳田屋を訪れています。
この他、浮世絵師の安藤広重が1858年(安政5年)に、これより先の1855年(安政2年)には木戸孝充(桂小五郎)が浦賀奉行所・与力中島三郎助に造船技術お教授を得るために来訪した折りに泊まっています。
幕末から明治維新の激動のなかで浦賀を訪れた数多くの武士や文化人が徳田屋に宿泊し、ここから日本を見て世界を見て時の移り変わりを認識して、近代日本が誕生したので、その事から徳田屋の果たした役割の大きさは大変なものがあります。
徳田屋は大正12年の関東大震災で倒壊し姿を消してしまいます。
現在は面影も残っていません。

基本情報
住所 神奈川県横須賀市東浦賀2-7
TEL 浦賀行政センター 046-841-4155
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 京急浦賀駅より京急バス「新町」下車徒歩約3分

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